REFINE −10−

今回で完結です。

前回の不思議についてです。
結局今回の工事での教訓は、着工するまでの意思統一が
鍵だったと言うことです。
そもそも感覚が違いすぎ、言ってる事が、かみ合って
いなかった。
この時点で見直すべきだったのかも知れないが
仕方のない状況があり、進めた・・・
今回は図面も一般図しかなく、後は打合せと数回の現場で
のやり取りしかなったから、よくできた方かもしれない。
大工の立場からすると、一応言われた通りにできたし、
問題はないと言うだろう。
ただ予算が思ったかたちに納まらなかっただけだと・・・
思った以上にこの材料、あの材料が高かったからなどと
言って説得しようとするであろう。
でも本来なら約束通りじゃないから受け取らないと言うが
ここは違う通りで行かざるをえない難儀な状況・・・
田舎であると言う致命的な弱点だ・・・
だからあまりキツイことが言えないし、
言いたいことの50%も言えない変な環境にある。
親に「あんたあんまりキツイ事言ったらあかんで。」って
どっちの味方?それって黙って言い値で支払えってこと?
ありえないでしょ?
でもそれが田舎なんだって・・・この地域だけでしょ?
普通そんな変な話ないよ。
でも契約書や、図面、見積りなどはとりあえずあるだけ、
法的な効力や公には通用するが、社会で生きて行くには、
何より、人との関わりが全てだと言うことなのでしょうか?
だからお金よりもそこを大切にしようとする考えは、
ある意味、大切なことなのかもしれない。
しかし、感覚の違い。意識の違い。何だろ・・・
でも、二度とこの大工には頼まないだろう〜
自分たちの仕事は全て分業制で成り立つと考えられる。
故に、仕事を発注する人、設計をする人、工事をする人、
それぞれの立場がイーブンであるべきであり、それぞれが
対価に見合ったものを手に入れる仕組みとなっていると思う。
ここで今回我慢したことをあげてみよう・・・
・外壁の仕様。
・屋根の形状
・サッシの形状
・コスト
・工程
と整理をしてみても、やっぱり自分が損してないかな〜?
これらはやはり曖昧に進めた結果によるものなのでしょうか?
自分で発注したら本当はもっと真剣に考えると思うが、
自分のものだから逆に手を抜くと言うか妥協が結構多い
ことに気がついた。
後で気に入らなくても直せると言う安心からか、
甘えを残した仕事になっていると感じた。
次回、自ら発注できる機会があればもう少し真剣に
取り組もうと思う。
終。

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